東京地方裁判所八王子支部 昭和52年(ワ)1548号 判決 1983年11月28日
原告
榊純男
原告
安藤勝也
右原告ら訴訟代理人弁護士
高橋梅夫
右訴訟復代理人弁護士
佐藤利雄
同
橘節郎
被告
藤川章二
右訴訟代理人弁護士
田村公一
同
丸井英弘
同
内田雅敏
同
森谷和馬
主文
一 被告は原告榊純男に対し金二〇〇万円、同安藤勝也に対し金五〇万円及びこれらに対する昭和五三年一月二八日から完済まで年五分の割合による金員を各支払え。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の、その一を原告らの各負担とする。
四 この判決は右第一項に限り、原告榊純男については金三〇万円を、同安藤勝也については金七万円を各担保に供するときは、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告らの請求の趣旨
(一) 被告は、原告榊に対し金七〇〇万円、同安藤に対し金三〇〇万円及びこれらに対する昭和五三年一月二八日より支払ずみにいたるまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
(二) 訴訟費用は被告の負担とする。
(三) 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
(一) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(二) 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
(一) 原告榊は、訴外日野自動車工業株式会社(以下訴外会社という)日野工場第三製造部車体二課長、同安藤は同課職長の職にあったものであり、被告は昭和五〇年一〇月三日訴外会社を解雇されたが、右解雇まで前記第三製造部管理課に準社員として勤務していたものである。
(二) 被告は、訴外会社勤務当時である昭和五〇年四月六日から、別表(略)一記載のとおり三五回にわたり、原告榊の自宅へ多数の者と押しかけ、原告榊及びその家族に対して各欄記載のような行為をした。
また、同被告は、原告安藤及びその家族に対しても前後一三回にわたり原告安藤宅へ押しかけ、昭和五〇年八月一〇日から別表二記載の行為をした。
(三) 原告榊の家族は、妻と当時高校生の長女及び中学生の長男であるが、被告の別表一記載の不法行為により近所付合いはなくなり、子供は学校へ行きたがらなくなるなどの精神的損害に加え、そのため親として原告榊は多大の精神的損害を受けた。
この精神的苦痛を慰藉するには、金七〇〇万円をもってするのが相当である。
(四) 原告安藤には、妻のほか当時小学生の長男と次男がいるが、被告の別表二記載の不法行為により、近所の子供が遊んでくれなくなり、学校へ行かなくなったり、外でも遊ばなくなるなど、右長男次男への打撃が甚大なため苦悩し、原告安藤は親族と相談のうえ、被告らが押しかけるのを回避するため自分だけ住居を変えるなどした。
この精神的苦痛を慰藉するには、金三〇〇万円を賠償させるのが相当である。
(五) 以上のとおりであるから、被告は原告らに対し、それぞれが被告の不法行為により原告らの受けた損害を賠償すべき義務がある。
(六) よって、被告は原告榊に対し金七〇〇万円、同安藤に対し金三〇〇万円及び右各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和五三年一月二八日より完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否
(一) 同(一)項中被告が訴外会社に準社員として勤務していた点を除き、その余は認める。
(二) 同(二)ないし(四)項はすべて否認する。
三 被告の反論
(一) 被告は、昭和四八年八月末に同社の第三製造部管理課に配置換えされ、昭和四九年六月に同部車体二課に原告榊が課長として就任してきた。原告榊は過酷な労務管理を開始し、正規の始業時刻前の出勤を強要し、遅刻者や反抗的な者に対しては見せしめ的な懲罰を実施し、労働者の諸権利に対する実質的な制裁をする等、様々な不当措置を行うようになった。会社の労働組合が御用組合と化しているので、会社の違法不当な行為を批判是正するために「有志の会」を結成し、その機関誌「労働者の声」においてこれを採り上げ、批判を開始した。
原告榊はこれに対して仕事中でも課員を呼出して、いわゆる密告者探しを始めたので、被告ら有志の会のものは昭和五〇年四月六日に原告榊宅を訪れ、同人に対して車体二課の悪質な労務管理や密告者探しを中止せよとの申入れ書を手渡そうとした。ところが、原告榊はその受取りを拒否し、一一〇番に電話する不当な処置をとった。そして同月八日から被告に対する社内リンチが開始され、二人以上の指導員、工長、職員らが被告を取り囲み車体二課の問題から手を引けと云って暴力を振った。連日のようにリンチをなし、四月上旬から被告に対して殴る蹴る突きとばす等の暴行を繰り返した。
そこで四月二七日、被告や有志の会のメンバーがリンチを止めさせるために原告榊宅に行ったのである。その後同人方に行ったのも同じく抗議の目的であった。
被告は昭和五〇年七月五日前記リンチに対して原告らを含む三五名を傷害罪で告訴したが、それでもリンチは中止されず、同年八月一日には激しい暴行によって被告は倒れ、救急車が呼ばれるという異常事態が生じた。昭和五一年一月原告ら七名が逮捕され、約三〇名が書類送検となった。その結果、原告榊も罰金一〇万円の刑を受け確定した。
(二) 原告安藤は車体二課の職長であり、且労働組合の執行委員であり、被告に対するリンチにも加っていた。しかし昭和五〇年四月から五月頃同原告は被告に対するリンチを認め、組合として対処すべく努力することを約束したにも拘らず、その後その態度を一変してリンチ等はなかったと主張し、話合にさえ応じなくなったのみか、組合は有志の会の活動を組合の方針に反する組織破壊活動であるとして警告書を送付し、統制処分をも匂わせるようになった。
そのために被告らは、原告安藤が前言をひるがえしたことに抗議すると共に、組合としてリンチの事実を認めさせることを目的として同原告方に行くようになったのであるから、同原告としては被告の本件のような自宅抗議についてはこれを甘受すべきもので、その責任を忘れて被告に対して損害賠償を求めることは著しく社会正義に反するものとして許されないところである。
(三) なお、本件訴訟は被告らの行為が昭和五〇年四月から同五一年六月までになされているのに、訴の提起は昭和五二年一二月二六日に至ってなされたものであり、しかもこれは被告において同年一〇月二一日に提起した原告らのリンチに対する損害賠償請求事件の反訴的訴えとして提起されたものである。
そして被告の訴訟は和解によって終了したが、その際原告らは被告が遺憾の意を表明すれば本件訴訟を取下てもよいと提案されたが、被告は正当な行為と考えているので、これに応じなかった結果存続しているにすぎない。本件訴訟は金一〇〇〇万円もの請求をしている事件でありながら、被告の遺憾の意思の表明程度で取下げをするような軽微な事案である。
いずれにしても、被告の行為は合理的正当な理由のもとにやむなく行われたもので、その目的遂行上やむをえない限度で自制的に行われた正当なものであるから、何らの違法性もない。
第三証拠(略)
理由
第一 (証拠略)によれば、次のとおりの事実が認められる。
一 原告榊について
(一) 被告は、昭和四五年四月二三日に日野自動車工業株式会社に準社員として入社した。昭和四六年三月二〇日に会社より同年四月一九日に解雇する旨の予告を受けたが、その後会社は右解雇を撤回した。そして、会社は被告に対して準社員としての契約書に署名するように要求したが、被告はこれに応じなかった。そのために会社からは一般の仕事が与えられず、ロッカー室で待機するよう命ぜられ、それは昭和四八年八月三一日まで続いた。その間の昭和四六年五月一三日頃、暴力団員風の男三人に果物ナイフをつきつけられて、会社に退職願を出して田舎に帰れと脅かされた。さらに同年一〇月一五日に、被告の同志である北畠が会社から解雇通告を受けたことから、被告は昭和四七年二月に日野自工労働者有志の会を作って、被告に仕事をさせろ、北畠の解雇を撤回せよ、労働時間を短縮し、賃金をあげよ等のスローガンを掲げて活動を始めた。そして、会社に対する労務対策だけでなく、労働組合に対しても御用組合であるとして批判したために、組合との間もうまくいかなかった。
(二) 一方、原告榊は、昭和三一年五月に入社し、始めは生産技術部技術第二課の日雇いであったが、昭和三三年に本採用となり、昭和三九年に係長となった。昭和四六年第三製造部車体技術課の課付課長となり、昭和四九年六月に抜てきされて、同部車体第二課の課長となった。原告榊が抜てきされるようになったのは、同人が誠実に仕事に励んだことと、前課長が労務管理にルーズであったために、原価管理・品質管理・工数管理のすべてにおいて、会社の定めた目標に達せず、生産性が著しく低下していたので、原告榊にこの事態を改善して生産性を高めることを期待したこともあった。そこで原告榊は、これに答えて部下の組替えを行い、除員をはじき出し、不要なものはよその課の応援に回し、工数も減らし、一三〇名いたのを一二〇名にしたために、遅刻早退欠勤休暇等も容易に認めなかった。そして、それまでルーズに行われていた毎月曜日の朝礼を厳格にし、従来は八時三分前に持場に到着していたものを五分前として、その五分間に班長がその日の仕事の訓示や段取りをするようにしたため、車体第二課の生産性は格段に向上した。
(三) ところが、被告は昭和五〇年三月二七日頃匿名のものからの電話を受け、それに基づいて有志の会では車体第二課では、<1>遅刻したら一分当り一時間の割でホーキを持って立たせる、<2>無断欠勤したら、立たせるばかりか誓書をとる、<3>退職願に捺印しないと給料を渡さないといって、無理に退職させる、<4>休暇をとるのに、当日定時に出社させて休暇願を提出させた、<5>始終作業場を見廻り、めちゃくちゃな人調べをする、といった内容のビラを会社の正門前で出勤途上の会社員に配布し、さらに同月三一日には車体第二課榊課長の罪業実態と題する右と同内容のアジビラを正門前で全社員に配布した。
(四)(1) 昭和五〇年四月六日(日曜日)に被告は外三名と共に原告榊方に午前九時頃突然押しかけ、玄関の中に入ってどなったり、道路傍の電柱やブロック塀に四二枚のビラを貼り、さらに周辺住民にビラを配布したので、原告榊の妻や中学生の女の子、小学生の男の子は恐ろしさにおびえてしまった。原告榊は被告らの行為に対して「被告らは仕事上の関連もないし、どなり込まれる筋合もないのに、何でビラ貼りをしたり、近所に配るのか」と大変怒ってパトカーを呼んだ。
(2) 原告榊は被告らの行動に憤慨し、部下の三人の工長と被告に抗議することを相談し、工長は職長にこれを伝え、職長はさらにその部下に伝えて、同年四月八日と九日に会社において多数のものが被告に対して「誰が間違ったことを密告したのか、榊課長の自宅に押しかけるのはやめろ。」と強く抗議したが、被告は頑としてこれに応じなかった。
(3) 被告らは、四月一〇日に、職制機構が麻痺し始めた、攻撃の手をゆるめてはならない、少しでも不当と思ったら指示命令に必ず文句をつけよう、一人が文句をつけたら全員で応援しよう、無理な仕事は止めよう、一人が止めたら他の人も絶対にやらないようにしよう、早退してもやり抜こう、仲間が不当な取扱いを受けたら全員で残業を拒否しよう、定刻前の仕事や準備ミーティングは一切拒否しよう、職制の中で最も悪質で弱い者の一人は原告安藤である、彼を集中的に攻撃しよう、早い時期に屈服する可能性がある等と書いたビラを配った。
(4) 同月二二日の火曜日に、被告らしいものから原告榊宅に夜八時頃「お前の家に又押しかけるぞ」と脅迫の電話があり、原告榊の妻はひどく恐がった。その後一〇回位電話があったが、恐くて電話に出なかった。
(5) 四月二四日午後〇時二五分、日野工場内第三製造部組立工場一階フレーム投入現場付近で、多数の職員が被告を取り囲み、被告が原告榊の自宅に押しかけたり、車体第二課の労務管理を批判したことに抗議した際、その内の渋江哲夫は、作業用安全靴で被告の左下腿部を足蹴りする等の暴行を加えた。
(6) 四月二七日の日曜日、被告外一五名位が原告榊方に押しかけ、玄関に入ろうとしたので、横谷ら車体第二課のものが屋外に押出そうとしたが、内四、五名が玄関の中に乱入し、「榊出ろ、話合おう」とハンドマイクをつかって大声で騒ぎたて、さらにガラス戸を叩いたり、あたり近所に聞こえるようにハンドマイクで同原告の悪口をどなり、アジビラを近所にばらまいた上、<1>榊を大月の町に住めないようにしてやる、<2>家から外に出られないようにしてやる、家族も外聞が悪くて出歩けないだろう、<3>榊の妻や子供の名前を大声で呼んで、お前のおやじが会社でどんな悪いことをしているか知っているか、<4>お前達の着ている服はお前のおやじが会社で悪いことをして稼いだ金で買ったものだ、その内学校の友達にも全部分かるぞ、<5>この新築の建物も労働者をいじめて建てたものだ、出てきてあやまれ等とハンドマイクのボリュームを一杯に上げてがなりたてた。
原告榊は、被告の直接の上司である堀に電話して、「被告は隣の課なのに何んでこんなことをするのか、早く止めさせてくれ」と頼んだ。そして一一〇番に電話してパトカーに来てもらって、やっと一一時頃追い返すことができた。原告榊の妻や子供達は恐怖のあまり口も聞けなかった。
(7) 同年五月三日の土曜日、被告他二三名は午前九時五〇分ごろ原告榊方に押しかけ、玄関に乱入して騒ぎたてて、原告榊の妻に玄関マットを投げつけ、玄関にあった雨傘を持っていったり、外でハンドマイクを使って原告榊の悪口をどなりたて、雨戸やガラス戸を割れんばかりに叩き、玄関の鎖の雨樋を引きちぎってこわし、付近の植木を踏みつけ、大声で奇声を挙げながらブロック塀によじ登ったり、門の扉をガタガタゆすってこわし、原告榊や応援にきた部下らが一寸でも戸のすき間からのぞくと、ハンドマイクで集中的に攻撃したりするので、ついに一一〇番に電話してパトカーを呼んだところ、警察官もなかなか入れず、解散しないと逮捕するとの警告に対しても、被告らは税金泥棒、企業から幾ら貰った等とヤジって応じないので、被告らをゴボー抜きにして、やっと一一時三〇分頃追返した。そのため原告榊の妻は恐しさのあまり泣き出し、その後四、五日寝込んでしまった。そして近所からは、今まで原告榊がくるまでは静かだったのにこのようなことが続くようなら引越して貰わねばならないと云われた。又、原告榊の家の裏の人の畠を被告らが踏み込んで荒したため、に苦情が出たので、皆であやまりに廻った。会社のものが被告に対して日曜日に行くのは止めなさいといさめても、被告は革命のためなら多少の犠牲は仕方がないといって、一向に聞こうとはしなかった。
(8) 同年五月四日、日曜日、被告外三名は原告榊の留守中に自宅に押しかけ、同人の妻が主人はいないから帰ってくれといっても帰らず、さんざん悪口を云って帰った。又同日の夜八時から一一時頃まで被告らしい男からひっきりなしに脅迫の電話が掛り、あまりうるさいので電話器をはずしてしまった。
(9) 五月五日、月曜日の夜八時から一一時頃、同月一〇日土曜日の午前八時半から九時頃、同月一一日の日曜日、同月一四日の水曜日、同月一五日の木曜日、同月一七日の土曜日のいずれも夜八時から九時頃、被告らしいもの或いはその仲間から原告榊方にひっきりなしに脅迫の電話が掛ってきた。
(10) 五月一五日木曜日の午後〇時四〇分頃、日野工場内第三製造部組立工場一階フレーム投入現場附近で会社の職員多数が被告を取り囲み、被告がビラを配ったり、休日毎に原告榊の自宅に押しかけて退社を要求したり、しつように抗議行動を行ったことに憤慨し、被告に対しそのような行動をやめるよう口々に抗議し、原告の部下の白馬勇治らは、被告の襟首を掴んで引きつけ、右膝頭を折り曲げて股間を一回蹴りつける等の暴行を加えて、全治約一週間の左側睾丸炎の傷害を負わせた。
(11) 五月一八日、日曜日午前九時三五分頃、被告外三九名が原告榊宅におしかけてきたので、門に鍵をかけて屋敷内に入れないようにしたところ、被告らは塀の周囲を取り囲み、ハンドマイクをボリューム一杯に上げて口々に悪口をわめいて騒ぎ、裏の畠に乱入して柵をこわしたり、近所にビラをまいたり、貼ったりし、そのビラには抗議先はここと原告榊の家の電話番号が書いてあったので、ビラを貼られた人々から苦情の電話がかかってきた。
(12) 五月二四日及び二五日の朝被告らから原告榊宅に脅迫の電話がかかってきた。
(13) 同年六月一日、日曜日の朝八時から一〇時三〇分まで被告他三名が原告榊の自宅に押しかけ、門に鍵をかけておいたので、塀の外をうろついて写真をとったり、わめいたりして帰った。
(14) 同年六月八日の日曜日朝一〇時三〇分、被告他二四名が原告榊の自宅に押しかけ門に鍵をかけておいたので、裏の畠に乱入し、ブロック塀の所でハンドマイクでがなりたて、柵をこわしたり、近所にビラをまいたりするので、原告榊や家族は雨戸を締めてじっとしていた。
(15) 同月二三日月曜日の夜八時から一一時まで、被告らからひっきりなしに脅迫電話がかかり、家族のものはノイローゼ気味になって寝むれなかった。
(16) 同月二七日午後五時頃、日野工場内第三製造部車体主場一階中央階段付近で、会社の職員六〇名位が被告を取り囲み、口々にもう会社にくるな、会社をやめろとどなって、被告に対して渋江哲夫、木村幹夫、榎本敏男、白馬勇治並びに原告榊らが手や肘で突いたり、体当りをしたり、足蹴りしたりして暴行を加えて、治療約一週間を要する両上腕部、両背部、右胸部、右下腿等に打撲傷を負わせた。
(17) 同月二九日、日曜日朝一〇時三〇分から一一時までの間、被告他二〇名が宣伝カーを先頭にして原告榊の自宅におしかけ、宣伝カーのボリュームを一段と上げて、割れんばかりの大声で隣近所中に聞こえるように原告榊や家族の悪口をわめきたて、被告は二米位の竹の棒をもって雨戸やガラス戸をつついたりした。そのために、近所の家もあまりの騒音に雨戸を閉める状態であった。
(18) 同年七月四日、金曜日夜八時から九時まで、被告らから何回も脅迫の電話があった。
(19) 七月五日被告は原告両名ら職員三五名を告訴した。
(20) 七月六日、日曜日の朝一〇時三〇分、被告他一六名が原告榊の自宅に押しかけ、たまたま同原告が留守であったため、その妻や子供の名前をハンドマイクでどなりながら悪口をあびせたので、子供達は二階の机の下に身をかがめていた。被告は「お前達のお父さんのやったことを学校に教えると、学校にいけなくなる」等といったので、子供達は泣き出した。
(21) 七月一三日、日曜日の朝一〇時五〇分から一一時三〇分まで、被告他一五名が原告榊の自宅に押しかけ、門に鍵をかけておいたので、裏の畠に入ったり、ブロック塀のところでハンドマイクでがなりたて、フェンス越しに角棒等で家の壁や窓ガラスを突っついたり、畠のジャガイモの腐ったのや土の固まりを原告榊の新築の家の壁に叩きつけ、ブロック塀によじのぼって騒いだりしたので、原告榊や部下達がよごれを落すのに大変苦労し、又近所約三〇軒に詫びて廻らなければならなかった。
(22) 七月二〇日の日曜日の午前一〇時から一二時まで、被告他一五名は原告榊の自宅に押しかけ、門に鍵がかかっていたので、塀をのり越えて侵入し、車庫のコンクリート壁やブロックの外壁に墨で五〇センチメートル四方位の字を落書したり、玄関の戸をバタバタ叩いて暴れ、他のものはハンドマイクで悪口をどなったり、さらに表札にはき捨てたガムで名前がわからない位のばして貼りつけ、ポストや子供らが通う通学路に見易いように青や黄色のビラに榊課長を追放しようと書いたものを貼りつけた。又、原告榊所有の自動車の前面ガラスや屋根、そして物置にもビラを貼った。
(23) 七月二三日水曜日の夜一一時頃、被告と思われるものから、三回脅迫の電話があった。
(24) 七月二七日、日曜日午前一一時から一一時三〇分にかけて、被告他一二名が赤旗を振って原告榊の自宅に押しかけ、門に鍵がかけてあったので、入口でハンドマイクをもって悪口をいいながら騒ぎたて、さらに夕方にも六時一〇分から七時一〇分にかけて、被告他七名が再び押しかけ、玄関の中まで乱入し、大声でわめきながらガラス戸を叩いて暴れた。
(25) 七月二九日の火曜日、被告らしいものから夜九時に電話がかかってきた。
(26) 同年八月一日午後五時頃、組立工場東側通路で職員四〇名が被告を取り囲み、口々に会社にくるな、課長の家にいくなとどなって、渋江哲夫、鈴木一雄、原告榊らは被告に対して手や肘で突いたり、体当りで押したり、足蹴りしたり、手拳で殴打する等の暴行を加え、加療約一週間を要する頭部胸部等の打撲傷を負わせた。被告はやっと逃れ出て、近くの公衆電話から一一九番をして、救急車を呼んで運んで貰った。
(27) 八月三日の日曜日、原告榊は被告らが毎週押しかけてくるのでたまりかねて、家族で出かけた留守に被告らは押しかけて、門や郵便ポストにゴムのりのついたビラを貼りつけ、庭に石を投げ入れたり、ブロック塀に落書をしたり、表札にガムを貼りつけたりした。
(28) 八月一〇日、日曜日の午前一〇時から一一時にかけて、被告他九名が押しかけて、ハンドマイクでがなりたて、鍵のかかっている門を次々に飛び越えて庭に乱入し、ゴムのりのついたビラを雨戸や門、フェンス、物置等に貼りつけ、又近所の家にもビラを配ったりした。
(29) 八月一一日の月曜日の午後四時から五時にかけて、被告他一名が原告榊方におしかけてわめきちらし、近所にも迷惑をかけるので、パトカーで追い返して貰った。
(30) 八月一七日の日曜日午前二時から夜の一〇時まで、被告やその仲間が交替で原告榊方に脅迫の電話をかけてくるので、ベルが鳴りっぱなしで一睡もできなかった。
(31) 八月二四日の日曜日の午前一〇時三〇分から一一時三〇分にかけて、被告他一二名が原告榊方に留守中押しかけ、ハンドマイクでどなりながら、門を飛び越えて侵入し、門の内側や標札、ポスト、電柱にゴムのりのついたビラを貼りつけた。余りひどいので、原告榊は警察にきて貰って現場検証をして貰った。
(32) 八月三一日の日曜日に、原告榊宅に同人の留守中に押しかけ、電柱や掲示板等にゴムのりのついたビラを三〇枚位貼った。
(33) 同年九月三日の水曜日夜一二時から翌日の朝四時まで、被告とその仲間が原告榊宅に脅迫の電話をかけてくるので、家中が寝られなかった。
(34) 九月二一日の日曜日朝九時頃、原告榊が家族で出かけたところ、門の外で待伏せしていた被告ら五人が三台の車に分乗して二〇キロに亘って跡をつけるので、原告榊は八王子署にいって事情を話し、被告らを追い返して貰った。
(35) 一一月に入ると殆んど毎日夜八時から九時の間に一、二回被告らから脅迫の電話があり、出ないと三〇分位もベルが鳴りっぱなしの状態が続いた。
(36) 一一月一六日の日曜日午前八時四〇分から九時一〇分にかけて、被告他四名が原告榊方に押しかけて、鍵のかかっている門を飛び越えて庭に侵入し、雨戸を割れんばかりに叩いてこじ開け、台所の中をのぞき込んだり、大声でわめいたり、便所のモーターを切る等の乱暴を働いたので、家族はおびえ切って声も出せなかった。
(37) 一一月二三日、日曜日の午前九時三〇分から一〇時一〇分まで、被告他三名が原告榊方に押しかけ、鍵のかかっている門を飛び越えて庭に侵入し、大声で原告榊や家族の悪口を云いながら騒ぎたて、雨戸を全部閉め切っているのを割れんばかりに叩いたり、こじ開けようとしたりした。
(38) 一一月三〇日、日曜日午前一〇時三〇分から一一時三〇分にかけて、被告他三名が原告榊方に押しかけ、大声で同人の悪口をいってどなり散らし、鍵のかかっている門を飛び越えて侵入し、雨戸、門柱、フェンス、ポスト、標札、電柱等にゴムのりのついた青や赤のビラを貼り、さらには原告榊の自動車のリヤウインド、サイドウインド、ボディーに七枚のビラを貼りつけた。そのためにビラをはがすのに苦労し、ボディーに貼りつけたものは、はがそうとすると塗装まではげてしまう状態であった。
(39)一二月七日、月曜日午前一一時から四〇分間、被告他六名が押しかけ、ハンドマイクで悪口をいったり罵声をあびせかけながら騒いだ。
(40) 一二月一四日の月曜日の午前九時五〇分から一〇時三〇分にかけて、被告他三名が原告榊方に押しかけ、大声で同人らの悪口をいってわめいたりして帰った。
(41) 一二月一二日の日曜日、原告榊の留守中被告は鍵のかかっている門を乗り越えて侵入し、郵便ポスト、電柱にゴムのりのついたビラを貼った。
(42) 一二月二九日の日曜日の午前九時三〇分から一〇時三〇分にかけて、被告他六名が原告榊の自宅に押しかけて、大声で悪口をいいながら騒ぐので、雨戸を締め切って、監禁状態になった。
(43) 昭和五一年一月一一日の日曜日、原告榊の留守中に同人方に被告らが押しかけて、郵便ポストや電柱等にビラを貼った。
(44) 一月一八日の日曜日の午前一〇時から一一時にかけて、被告他二〇名が原告榊方に押しかけて、鍵のかかっている門やブロック塀を乗り越えて庭に侵入し、雨戸や物置をこわれんばかりに叩き、ハンドマイクでがなり立て、雨戸やポストや電柱にビラを二〇枚貼っていった。
(45) 一月二五日の日曜日、原告榊の留守中被告は同人方に押しかけてきて、電柱、門にゴムのりのついたビラを貼っていった。
(46) 同年二月一一日水曜日夜七時頃、原告榊が自宅に入ろうとすると、入口で被告と三浦ら六名があとから追いかけてきて、「おい待ちなよ」とどなったが、相手にしないで家の中に入ると、台所まで入ってきて、雨戸を叩きながら暴れるので、近所に迷惑になるため一一〇番に電話して警察官にきて貰って追い返した。
(47) 二月一五日の日曜日の夕方六時頃、被告ら何人かで原告榊方に押しかけ、同人の子供が一人で雨戸を閉めて家の中でじっとしていたので、何もしないで帰ったが、夜七時頃脅迫の電話がかかってきた。
(48) 二月二〇日金曜日の夜八時二〇分に、被告、三浦、島原ら五・六人が原告榊方に押しかけ、同人の妻が帰郷して留守のところへ、被告らは玄関の外から「日野自動車の者ですが」と声をかけたので、原告榊の子供が会社の人と思い込んで玄関の鍵を開けたところ、一度に玄関になだれ込んできてどなり始めた。そこですぐ一一〇番に電話したが、被告らは帰らずに被告にあやまれとどなりながら騒いだりアイロンを床に投げつけたりし、三〇分位たってパトカーがきそうになってやっとわめきながら帰っていった。
(49) 同年三月二一日の日曜日に、被告外一〇名が車三台に分乗して原告榊方に押しかけて、マイクで叫んだ。
(50) 同年四月一〇日土曜日の午後一時半に、被告他一一名位がすべて腕章をして原告榊方に押しかけ、ハンドマイクで「リンチの責任をとれ、職場から追放してやる、この家から出ていけ」等と繰り返し大声でがなりたてた。そしてブロック塀に落書きをし、ポスト、門、入口のコンクリート、ブロック塀に合計七枚のゴムのりのついたビラを貼り、さらに鍵のかかった門を乗り越えて侵入し、車庫の中の自動車にビラを二枚貼り、付近の枯れ草を車に振りかけ、二時二〇分頃退散した。
(51) 四月二九日木曜日午前八時に、原告榊が起きて見てみると、ブロック塀に一六枚、囲りの電柱に二〇枚位のビラが貼ってあった。そして午前一〇時三〇分に被告ら九名位が原告榊方に押しかけ、門からなだれ込んできて、ハンドマイクでがなりたてたり、玄関のチャイムを鳴りっぱなしにし、雨戸を割れんばかりに叩き、さらに車庫の中の自動車の戸を開けてホーンを鳴らしたり、勝手に雨戸や物置にゴムのりのついたビラを貼った。そして、警察官がきても云うことを聞かずに、いい返したりして四〇分位いて引上げた。
(52) 同年六月六日の日曜日の午後二時頃、被告ら四、五名がきて、近所に「榊が職場より追放される」というタイトルの原告榊を誹謗したビラを配って歩いた。
二 原告安藤について
(一) 原告安藤は、訴外会社の労働組合の執行委員会のメンバーであるが、被告は有志の会と労働組合が対立していることや、原告安藤が原告榊の部下で、同人に加勢したことや、同人が被告に対して一旦はリンチがあったことを認めて、組合としてこれに対処することを約束したのに、その後前言をひるがえしたとして、これをうらみに思っていた。
(二)(1) 昭和五〇年八月から一一月にかけて、日曜日になると被告ら数人が原告安藤方に押しかけて、塀を乗り越えて庭に侵入し、ドアを叩き、門の扉をゆすったり、ガレージの敷居が外れる程ゆさぶるので、原告安藤の家族がノイローゼ状態になった。そこで、原告安藤は組合の仲間に、何とか守ってくれと頼み、組合のものが日曜日毎に交替で原告安藤方に応援にいった。
(2) 同年一二月一四日の日曜日に、原告安藤の留守中に被告らが押しかけてくるというので、組合のもの四人が応援にいったところ、原告安藤の妻はやつれ、子供達はおびえていた。午前一〇時頃被告ら数人が原告安藤の自宅に押しかけ、玄関に入ってきて、安藤を出せと激しい口調で呼ぶので、いないから帰れと押問答の末、やっと玄関の外に押し出した。被告らは三〇分位して帰ったが、原告安藤の妻はこんな状態が何時まで続くのかと悲しそうに話していた。そして子供達も土曜、日曜にはほとんど遊びに出ないということであった。
(3) 一二月二一日の日曜日に、被告らは原告安藤方に押しかけ、家や自動車にビテを貼り、ハンドマイクで家族に向って、君達の父は会社で悪い事をしている、ここに住めなくなるぞとどなった。
(4) 一二月二九日の月曜日に、原告安藤方では年末であるからまさかこないだろうと思っていたのに、被告らはこの日も原告安藤の自宅に押しかけて、前回と同様のことをいって同原告らを脅かして帰った。
(5) 昭和五一年一月一一日の日曜日、被告らは原告安藤方に押しかけてきて、ハンドマイクを使って大声でどなるので、近所のうどん屋の主人が「いいかげんにしろ、たまの日曜なのに」と怒ったところ、被告らは安藤が悪いからこうなるのだと云い返した。
(6) 一月一五日木曜日に、被告らは二〇人以上で午後三時頃原告安藤方に押しかけ、組合のもの達と激しいやりとりをし、被告は組合のものの顔のすぐ三〇センチの近くまでカメラを向けて写真をとり、横を向くと正面に廻ってカメラを向ける等いやがらせに三回、四回と繰り返すので「うるさい」といって振払おうとすると、暴力を振うのかといって取り囲んだり、台所の窓をあけて、安藤でてこい、ここに住めなくするぞといったりした。そして、被告らはパトカーが出動して暗くなるころやっと帰っていった。
(7) そのような被告らの行動によって原告安藤夫婦の仲がうまくいかなくなり、ついに別居する事態にまで立ち至った。
以上の事実が認められ、これに反する被告本人尋問の結果は措信できない。
第二、一 以上の認定事実によれば、被告及びその仲間の者の行為はきわめて悪質で、しかも長期間に亘ってしつように多数回行われているのであって、その内容も、民事上の違法の行為であるばかりでなく、刑法上の住居侵入、脅迫、名誉毀損、器物毀棄等の各罪にも該当すべき行為である。
そして、右違法行為のすべてに被告が架担し、且率先しなしたものと認められるので、これらはいずれも共同不法行為として、仲間のものの行為についても被告は当然責任を負担すべきものである。
二 一面、被告榊において、右認定のとおり、被告に対して部下と共に多勢で取り囲んで多数回に亘り脅迫したり、又は暴行や傷害等の違法行為をなしたことはあるけれども、しかしこれとても、元はと云えば、被告が原告榊に対して会社の仕事上の問題を、しかも直接同人の課の者でもないのに、又その事について原告榊とは事前に何の話合をもすることなく、いきなり自宅に押しかけていって、どなったり電柱やブロック塀等に多数のビラを貼ったりしたことに基因するものであって、原告榊の側からすれば、被告に対して、それまで何らのかかわりもなく、課も違うのであるから、原告榊の課長として労務管理にくちばしを入れて妨害したと考えて被告らが自宅に押しかけてきたことに憤りを持ったこともまことに無理からぬところである。従って、原告榊が被告に対してそのことに抗議したとしても、そのこと自体は何ら違法とはいえないし、それによって被告がその点を反省して、自宅に押しかけるのを止めれば、このような問題は起きなかったはずであるのに、被告はこの点についてあくまでも自説を曲げず、革命のためには他人に迷惑をかけても当然とする硬直な姿勢をくずさないのみか、かえって闘争的態度をさらに強めていったために、原告榊や部下達を刺激する結果となり、被告に対する脅迫や暴行、傷害の行為に発展したものであって、原告らの限度を越えた違法行為は当然責められるべきものとしても、被告の告訴に基いて刑事処分を受け、これに対していさぎよく非を認めてこれに服し、さらに被告の起した民事事件においても、自己の行為を反省し、和解においても多額の金員を支払うことを承諾したものである。ところが被告は自分の側は少しも悪い点はなく、すべて相手が悪いというかたくなな姿勢に終始し、原告らが被告に対して起した本件民事事件についても、原告らの側で、被告が反省して遺憾の意を表してくれれば、訴を取下げてもよいという柔軟な態度を示したにもかかわらず、被告は頑として反省の色を顕わさず、原告の提案を拒絶したために、結局和解に至らなかったものである。
三 被告は、自己が原告らに対して行なってきたこれまでの行為を、遺憾の意を表するだけで取下げる程度の軽微なものと主張するが、
(一) しかし、既に認定した数々の被告らのなした行為は、到底そのように軽いものではない。何人にとっても家庭は憩いの場であり、ましてや日曜日は休息の日であって、一週間の労働の疲れをいやし、次の週の労働に備えるべき大切な日である。
たとえ会社の労働問題であっても、日曜に自宅に押しかけて、その意に反して話合をなすべきものでもないし、又それを受けるべき義務もないことはいうまでもない。
ところが被告は、殆んど毎日曜日に原告らの自宅に押しかけて、家庭の平穏をみだすのみならず、何ら被告とは関係のない原告らの妻や幼い子供達に対しても、名指しで呼びかけて恐怖を与え、しかも子供達が恥しくて学校にいけないような行為までしたことは、著しく限度を越えたものというべきで、このことに対する原告らの心痛はきわめて大きいものと考える。
(二) その上、ハンドマイクやラウドスピーカーで原告らとは何のかかわりのない近所の人達に対しても、原告らの悪口を報らせたり、ビラをまいたり、ビラをあたりに貼りつけて、原告らの名誉を著しく毀損した。
(三) 殊に、ビラを貼るについても、昭和五〇年八月以降は、ゴムのりのついたビラを貼りつけたために、これをはがすのが困難で、自動車のボディーに貼ったのをはがすと塗装まではがれるといった状態で、これらをはがすのに大変な労力をついやさざるをえなかった等原告らに与えた精神的影響は大きい。
(四) 特に、原告榊については、被告らが裏の畠を荒したために、畠の持主から苦情がきたり、又近所の家にビラを貼られたことや、大声で騒音をまき散らしたことによる苦情があり、そのために近隣の人達からこれ以上迷惑をかけられるのなら引越して欲しいとまでいわれて、肩身のせまい思をさせられた。その上被告は原告榊方が新築したばかりであるのを利用して、雨戸やガラス戸を割れんばかりに叩いたり塀や物置はては自動車にまでビラをはり、畠の腐ったじゃがいもや土の固りを家の壁に投げつけてよごし、樋の鎖を引きちぎる等悪質ないやがらせをして大きな苦痛を与えた。又、長期間に亘って、長時間に、時には夜間にひっきりなしに脅迫の電話をかけて、同原告や家族に対しても心理的な圧迫を加え、精神的苦痛を与えた。
(五) しかも、原告らやその部下のものが被告に対してなした脅迫や暴行等の行為は、昭和五〇年八月一日で終り、その後はそのような行動は一切していないのに、被告らはその後も原告榊に対して翌年の六月六日まで違法行為を続け、又原告安藤に対して昭和五〇年八月から始まって翌年一月一五日頃まで続けているのであるから、被告の行為は、原告らの被告に対する脅迫行為をやめさせる意図のもとになしたのではなく、原告らに対する報復といやがらせをして、原告らをしていたたまれないようにするのが目的と思われ、そのやり口はまことに悪らつである。
(六) そのために、原告安藤はついに夫婦仲がおかしくなり、別居するまでに立ち至り、その精神的苦痛はまことに大きいといわねばならない。
第三 以上のような諸点を綜合して勘案すると、被告のなした違法行為によって蒙った原告らの精神的苦痛は、原告榊に対しては金二〇〇万円、同安藤に対しては金五〇万円と見積るのが相当である。
そうだとすると、被告に対して原告榊の金二〇〇万円、同安藤の金五〇万円並びにこれに対して訴状送達の翌日たること本件記録上明白な昭和五三年一月二八日から夫々完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるから認容し、その余は失当としていずれも棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を夫々適用し、主文のとおり判決する。
(裁判官 安間喜夫)